「前兆」を感じ「予兆」を確信し、それを具体的に形にするための「行動」を起こす人は、流れを変える強さを秘めています。揶揄せず心から応戦していきたい。
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全てのものは「気」の塊で
その塊の違いが「個性」となり
「気」には「陰」と「陽」の相反する特性があり
その二つの交わり方の違いにより「外向き」なのか「内向き」なのかの「特徴」が分かれ
その「特徴」には、細かく五つの「パーツ」に分類することができ
「パーツ」は順番に繋がっていて、順番通りに動いている
五つの「パーツ」はお互いに影響をしあいながら
より良くなるために、「進化」していく。
「暦」とは、気の塊の「個性」と「特徴」と「パーツ」と「進化」を、十個の「干支」と十二個の「十二支」の組み合わせの、「六十干支」で示したものです。
そして、「暦」を紐解くことで、「気」を「形」として想像することができます。
「暦」を、「移ろいゆく景色」として、知ることで、自分にとっての心地良い「景色」は、いつ頃現れるのか、また、どうすれば作って行けるのか、そのためには何を準備すれば良いのか、また、何が不要なのか、知ることができます。
タイミングがピタッと合うことを、「時穴にハマる」と言います。
まさに、それは、時の不足部分に、自分の気をはめることで、一つのパズルを作る感じです。
なので、自分一人ではできないことも、「時」のタイミングが合えば、全ての「時」と一体となって、可能になります。
それは、「時代に選ばれた人」として、大偉業を成し遂げた人もそうですが、大きなことでなくても、些細なことも、全て「時穴」にハマったから、可能になったのです。
「占い」は「予言」ではなく、「時穴」を見つけるためのツールです。
「気」の巡る特徴には、決まった周期があります。
物事が誕生して、誕生したものが発展していく
発展したものが、過剰になりなり過ぎていっぱいになる
いっぱいになり過ぎたので、スペースに入らないものは淘汰される
淘汰されすぎると足りなくなっていく
足りなくなり、やがて枯渇していく
枯渇するとそれを解決するために新しい物事が誕生する
これは、目に見える景色として感じる周期です。
物事の過程は、この繰り返しと言うことは、全ての人が見える前に、それをいち早く感じ取り、先回りして、次の手に打って出る人がいます。
それは、「前兆」を感じ「予兆」を確信し、それを具体的に形にするための「行動」を起こす人です。
「前兆」を感じ「予兆」を確信し、それを具体的に形にするための「行動」を起こす人の巡りのサイクルとは
それは、物事が過剰になりつつある頃から始まります。
過剰になって、あるのが「普通」になった頃に、「普通」である事に疑問を感じ始めます。
そして、それがなくなり、枯渇した景色を想像します。
そして、ピークにも関わらず、手放して行きます。
自ら「枯渇」へと先に向かっています。
ただし、それはあくまでも「自由意志」のもとに選択しています。
「枯渇」へと向かっていくのは、「研ぎ澄まされて」いくことなので、淘汰されるのではなく、自ら淘汰していく事になります。
だから、周囲からは、もっと過剰にと求められるかもしれません。
もしかしたら、惜しまれつつ、撤退することを選択する事にもなっていくかもしれません。
もしかしたら、それがある事によって恩恵を受けている人から「攻撃」されるかもしれません。
「研ぎ澄まされ」ていった先の景色が素晴らしいものだと確信できたら、もう、今までの場所にいられなくなってしまいます。
ただし、全てが無くなって撤退するわけではありません。
自らの撤退は「自由意志」のもとに選択されているので、選択するための「余力」が十分に残っています。
周囲の流れに陰りが出始めた頃
自ら撤退した人は、枯渇した後の巡りに入っているため、次の発展の兆しを知ることができています。
そして、いち早く、それを形にしていけるのです。
「気」は秩序正しく巡ります。
予兆を感じて動く人は
秩序の中の「無秩序」を「自由意志」で選択していく人です。
予兆を感じるには、まず「今」を知ることが必要です。
「今」の立ち位置を知ってこそ、今後の流れがわかります。
「今」何が起きているのかを、客観的に知る
そして、今後、風向きがどう流れるのかを想像します。
そして、上手く流れるためには、何を動かしていけば良いのか、選択をしていきます。
そして、枯渇から湧き上がってくる、「衝動」を想像し、「衝動」を動かす方法を選択していきます。
その「衝動」を満たすために、次の発展が始まります。
「気」は規則正しく、秩序を持って巡りますが
「人」は無秩序に、衝動(感情)で動きます。
「気」と「人」との「時穴」がぴったり合うような、パズルのピースを探していくと、少しだけ先まわりできるので、自分の「場所」が悠々と確保できます。
「無秩序」に「自由意志」を持って動くには
秩序を気にせず、多様的であること
自由の中の責任を受け取ること
人から言われたことではなく、全て自分自身が納得している本心からの意志であること
この3つが試されます。
くれぐれも秩序にがんじがらめになって、他人の意志を尊重し過ぎないように。
そうなってしまうと、「うるさい外野」になってしまいます。
「無秩序」であり「自由意志」で決断した「正義」は
これからの、流れを変える強さを秘めています。
そんな「正義」は、秩序的に流れる「気」が応援してくれます。
だから、そんな人を、揶揄することなく、心からの応援を、していきたい。
「無秩序」に「自由意志」で応援していきたいですね。