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目の前に「壁」があるからその「壁」の向こう側を見てみたい:「運気」の流れは非情に淡々と巡る:「大河の一滴」

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「運気」をあげるとか、「運気」が良いとは、簡単そうでいて、実は、そうではなのです。

 

なぜならば、「運気」とはただ単に流れゆくものであって、それは、誰にも同じように流れています。

 

では、どこで「良し悪し」が決まるのかというと、「受け止め方」の違いで、自分にとって、上手に受け止められる場合は「良し」、そうではない場合には「悪い」ということになります。

 

 

「受け止め方」は、その人の「命式」だけでなく、周囲の「環境」も合わせてのものなので、その人が、どこに住んでいて、何をしていて、どういった立場にいるのかにもよって変わってきます。

 

「運が良い」人は、ある意味「駆け引き」が上手で、「折り合い」をつけるのが絶妙で、もちろん「周囲」も巻き込んで進んでいきます。

 

逆に、全て自分で頑張ろうとしたり、全て自分が引き受けてしまったり、自分だけが良ければ良い。そんな感じで進んでいくと、自分以外の全ての流れに対抗して進んでいくことで、流れを全く無視していること。

なので、上手くいくものも、力不足で、道を閉ざされたり、自らが潰れてしまうのです。

 

 

 

作家五木寛之さんの、「大河の一滴」には、「運」が流れていく様をとてわかりやすく、想像させてくれる箇所があります。

 

それは「人はみな大河の一滴」の中の「少年のころ大同江(テドンガン)のほとりで感じたこと」に描かれています。

 

中学一年生、13歳の夏、大雨で増水した大同江を眺めていると、ふと、「泳いで渡ってみよう」と思い立ちます。

そして、なんと、実行に移してしまうのです。

途中まで泳いだ時、底知れぬ恐怖に襲われ、慌てて岸に這いかがりました。

『自分の体と心がその大きな水流に吸い込まれて一緒に流れていくような感覚』(本文より抜粋)を感じたのです。

自分ではどうしようもない、自分よりも大きな「力(水流」)」に引っ張られていく感覚を、体全体で味わい、その大きさに底知れぬ、今までに感じたことのない「恐怖」を、体全体で味わったのです。

そして、『運命の力とでもいえるような大きな目に見えない流れをぼんやりと自覚した』(本文より抜粋)

 

その経験は、『人はみな大河の一滴』であるとの確信として、心に刻まれていきました。

 

 

自分ではどうしようもない事に巻き込まれながら、それでも流れの中で、泳いでいくしかない。

「運気」は、ただ流れているだけで、それをどうやって泳ぎ切るのか。

 

「暦」を紐解くことは、その方法を知る、一つの「ツール」です。

 

 

「根」を張っていくためには、土と向かい合って、伸ばせることろを探して、攻めて、奥深く進んで行かなくてはいけなくて、時々弱気になって逃げ出したくなる「自分」とも向き合って、なだめて、励まさなくてはいけない。

 

 

枝葉を広げていけばいくほど、風や雨の抵抗が強くなり、また、自分の茎がしっかりとしていないと、ふらふらしたり、折れてしまう。

 

 

 

「気」の巡りは

「木」→「火」→「土」→「金」→「水」

この順番で巡っています。

「水」にたどり着いて、また、「木」になります。

 

巡りの最終章の「水」は、高いところから、少しでも低いところを見つけると、どんな狭い隙間でも関係なく、「下」に向かって流れます。

 

「運気」とは、そもそも「下」に辿り着きたいと思っていて、それは、「上」いくためには、頑張らなくてはいけないから。

だから、隙があれば「サボりたい」・・・・

 

これが「本音」

 

眠たいのに、早起きしたり

地球の重力に逆らって、足を上げて歩いたり

顎に力を入れて、食べ物を胃が消化しやすいように咀嚼したり

 

もうそれだけでも大したもの。

 

 

だから、どうしようもなく思い通りに行かないことがあって、それでも何とかしたいと思っていて、どうしても諦めたくない時は

少しだけ「自分」と距離を置いて、何も考えず、流れゆく川や打ち寄せる波を、ぼんやりと眺めてみると良いかもしれません。

 

川の流れを堰き止めたり、波を操ろうとすることは、不可能です。

 

それでも、きっと、「奇跡」を起こしたいと諦めきれないかもしれませんね。

人類は「挑む」ことで、様々な不可能を可能にしてきて、「今」があります。

 

だから、「人」って面白いなと思います。

でも、くれぐれも、ほどほどに。

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