2021年「辛丑」の景色:「干支」と「十二支」とが混じり合い「個性」を生み出します
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2021年の年干支は「辛丑」です。
2月3日から、年の干支は切り替わります。
それまで、もう少し日にちはありますが、今年はなんとなく、「もう既に変わった」かのように、気持ち新たになられている方も多いと思います。
それもそのはず。
1月の十二支は「丑」なんです。
だから、「気分はもう2021年」になるのも頷けますね。
十二支は、「雑気」の干支です。
「雑気」とは、数個の「干支」が入り混じっている事を言います。
「丑」には、「癸・水陰」と「辛・金陰」と「己・土陰」の3つの「干支」が混じり合って構成されています。
十二支の「景色」を知るには、季節でイメージするとわかりやすいです。
「丑」とは、冬の最後の時期で、春に向かって少しづつ動き始める様子です。
冷たい土は、凍りついているけど、その冷たさもだんだんと緩んできます。
氷は徐々に溶けていき、溶け出した氷は水となって、土の中に染み渡っていきます。
土の中では、まだ「命」の伊吹は感じることはできません。
でも、「命」の伊吹は、確かにそこに育まれていて、水を含んで緩んでいく土は、これから芽吹く小さな「命」が、真っ直ぐに、道に迷わずに進んで行けるように、穏やかに優しくなっていきます。
物事は、水面下で動いていて、それを見ることはできないけど、でも、確かに進んでいます。
それを信じ切る事ができるのならば、「丑」は良い年になるはずです。
一方、「干支」は見ることができる「景色」です。
「辛」は、宝石の原石です。
汚れのない「金」の様に、洗練されたものを好みます。
それは、まだ、土の中で眠っているのかもしれないし、もしかしたら、地面から顔を出しているかもしれません。
宝石としての輝きは、磨くことから生まれていきます。
「陰」とは、受け入れて共鳴して、感応して、そうすることで、やっと「陰」としての役目を果たすことができます。
まずは、「そういう事ね」と飲み込んで
それから「じゃあ、わたしだったら、こんな風にしてみよう」と行動する。
「じゃあ、わたしだったら」に辿り着くためには、「共鳴」が必要です。
「共鳴」するためには、「感性」が必要です。
だから、「辛」をただ何も考えずに、磨けば良いのではなくて、外に向かって、素敵な光を放っていくことを、豊かな気持ちで、幸せな気持ちで、前向きに磨いていかなくてはいけないのです。希望や夢を諦めてしまってはダメなのです。
磨くと必ず光り輝きます。
その輝きは、外の「感性」を響きあって、「結果」として「形」になっていきます。
美しいものを、心から美しいと感じる
綺麗なものを、心から綺麗だと言う
大切なものを、心から大切だと伝える
「辛」の「景色」は、そんな「感性」と共鳴して、それを「形」にしていきます。
繋がる外の「感性」は、自分で決めて選び取るしかありません。
そんな「辛」と「丑」が、一つになって巡ります。
「丑」の中の「辛」は、「辛」と強く絆を結びます。
強く絆が結ばれると、その気がしっかりとした「軸」を持つことができます。
大きくなるのではないけれど、強い絆で結ばれると、しっかりとブレずに存在できます。
なので、美しさにこだわり、綺麗であるものに心が惹きつけられて、大切なものを失いたくないと心から思う気持ちが、いつになく強くなっていくかもしれませんね。
「辛丑」は、冷たい凍りついた土の中に眠っている輝く宝石の「景色」です。
土は凍りついているために、宝石は守られています。
でも、それは、頑なになって他者を寄せ付けない気持ちが強くなってしまうかもしれません。また、土を掘り起こそうとする気持ちが、冷たすぎる土に触れ、縮こまって手を引っ込めて諦めてしまうかもしれません。
だから、たった一人で凍える手だけで土を掘り起こすのは、ちょっと辛くなってしまうかもしれません。
アイデアを駆使して、手を「火」で温めながら、少しずつ、「宝石」を掘り起こしていく。
「宝石」は、「土」に守られています。
だから、変わらずにそこに在り続ける事ができるので、焦ったり、イラついたりはしなくても大丈夫です。
あまりにも強い焦りや、イライラは、熱い炎となって、大切な「金」を溶かしてしまうから、あくまでも穏やかに。熱すぎる気持ちをそのまま「辛」にぶつけてしまわないように、気をつけていきたいですね。
昨年末から、口々に、「自分に向き合って、もう一度考えてみた」と言われます。
そして、「コツコツと取り組みたい事が見つかった」とか、「振り出しに戻れて、もう一度頑張れそう」とか、「できるかどうか、まだ分からないけど、それでもやってみようと思う」など、「熱くない」決意を新たにされているなと感じます。
皆さん、どの「感性」と繋がっていくのかを、自分で選び取っていかれているんですね。
「陰」の気においての運のいい人とは、運気の流れに寄り添う人で
運気の流れに委ねられる人で
つまり、具体的に言うと
感覚で感じている事を、自分の言葉にしようとして、感覚を俯瞰して感じておられます。
「陰」と「陽」の運気の巡りは違うので、使い方も違います。
感覚とは、形がないから、言葉にするのはとても難しいし、しかも、そのモヤモヤ感じている事を、自分でもよく分からないのに、それを他人に伝えるなんて、まさに至難の業でもあるので、あまりにも忙しく、日々の様々なことに振り回されてしまっていては、至難の業にじっくりと取り組むことなんてできません。
こんな事言ったら笑われるかもしれないけど・・・もしかしたら呆れられるかもしれないけど・・・・
でも、言ってみないと分からないし、言い方とタイミングを見極めてみると、今日はダメでも、明日だったら良いかもしれません。
でも、言葉にできていると言うことは、内に秘めた「陰」を、「陽」として、外に出すことが出来た証拠なのです。
それは、「陰」から「陽」へと進化して、それからまた、「陽」を「陰」として受け止める。その繰り返しが、どんどん「個性」を磨くたった一つの方法だと思います。
「自分の言葉」で言えたなら、一歩前に進めたんです。
だから、とりあえず、「言えた自分」を労ってあげましょうね。
評価するのは、それから。
きっと、来年の今頃は、「個性的な宝石」が、あっちこっちで光を放っている事でしょうね!